見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

秘められたものは

美しい自然の風景を切り取った鮮やかな写真。
深い森の中での落ち着いた、穏やかな暮らしから紡ぎ出された言葉や陶器。
木漏れ日の差す道を、ゆっくりと歩いていくように流れる旋律。

そうしたものに触れると、心が豊かになります。ひととき、安らぎの時間をいただきます。作り手の形容しがたいセンスのよさを、うらやましく思うこともあります。

そうした作品を生み出した人々が、実は十年、数十年にわたる病とたたかっていたり、思いに任せぬ境遇に身を置いて苦しんでいたり、あるいは痛切な別離を経験したりしているという消息を、ふとしたことから知らされることがあります。作品との大きなギャップに驚かされることもあります。

けれども、作品の醸し出す深さ、豊かさ、磨かれた感性は、きっと背後に隠された激しい苦悩や厳しい悲しみと無関係ではないでしょう。その美しさ、おだやかさが形となってあらわれるまでの想像を絶する困難や格闘も、さりげなく隠されています。

秘められた過去に気づかぬまま、作品そのものの魅力にとらえられて、作者にずっと目を留め続けるということが、私にもありました。やはり、目に見えない何ものかが、光をはなつのだと思います。

語られずにいる、秘められたままのものは、やわらかな光をはなつのです。