見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

神を愛する

主を愛する人は悪を憎む。
主の慈しみに生きる人の魂を主は守り
神に逆らう者の手から助け出してくださる。
詩編97編10節)

詩編97編の詩人は終わりの日、終末における神の裁きを見ています。その日神はまったき義のはかりをもって世の不義を裁き、義の道を生き抜いた者たちに豊かに報いてくださる。そのことを詩人は信じています。この詩の特徴は、その終末信仰がそのまま今この時を生きる主の民の信仰の決断をうながしているところにあります。

神は御言葉をもってご自身を人間にあらわされます。また、ご自身が御腕をふるってなしたもうみわざについても告げ知らされます。これを神の啓示と言いますが、神の啓示はたとえば何かの事件の報道とか、あるいは情報伝達といったような客観的なメッセージとは異なります。
つまり、神の啓示を聞いた者はもはや中立の状態ではあり得ません。神の言葉に対する応答を迫られるのです。神は霊的存在、人格を持つ存在です。その神が人間と出会われます。わたしたちの人生に介入してこられます。わたしたちの根本的なありかたを問われ、ご自身に従うべきことを求められるのです。この神の求めに、わたしたちも全人格をもって応答します。そこに信仰が生まれます。
その消息を語り示しているのが10節です。「主を愛する人は悪を憎む」。主を愛する。それはわたしたちが何か自分の中のイメージで、また自分が愛したいように、観念的にまた感情的に愛しているつもりになることではありません。主なる神を愛する。それはきわめて具体的な事柄です。すなわち、神の言葉に従うことです。

神は悪を憎まれる方です。ご自分を信じる者たちにも悪を憎めと仰せになります。この神の言葉に従って悪を憎み、悪を離れること。それが神を愛するということです。そのように神を愛する者たち、すなわち御言葉に聴き従う者たちこそ、詩人のように終わりの日の神のまったき裁きを待ち望むことができるのです。