見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

地の塩

あなたがたは地の塩である。
(マタイによる福音書5章13節)

塩は調味料であり、防腐剤です。言うまでもなく人間の生活、日々の生活に欠かせないもの、貴重なものです。ただ、一方で塩は目立たないもの、見栄えのしないものです。
さらに言えば、塩は隠されています。隠し味という言葉がありますが、塩加減はむずかしいです。ことに塩がはっきりと形をとどめているような食べ物は、食べていくのがつらいでしょう。みずからは食材の中に身を隠す。そういうしかたで食材を生かす。ちゃんと味をきかせている。それが塩のありかたです。

つまり、塩は声高に何かを訴えたりはしない。世にあって人目を引くような、派手なパフォーマンスもしない。自己主張もしない。塩とはどのような人々か。心の貧しい人々です。悲しむ人々です。柔和な人々です。また、迫害されている人々です。そのような人々は、おそらくは地にあってはとりわけ注目を浴びる、スポットライトを浴びる人々ではないかもしれない。そのような人々に、世の人々はことさらに目を留めることはないかもしれない。むしろ見過ごされ、忘れられているような人々。それが、地の塩と呼ばれる人々です。
けれども実に不思議なことに、そのような人々が存在しているからこそ地は持ちこたえているのです。地が軽んじている、世がさげすんでいるそのように貧しく、低く、弱い人々によって、地上のいとなみは今日に至るまで存続しているのです。塩は防腐剤でもあります。素材をきよめ、腐敗を防ぐ作用があります。そのように地は確かに塩によってきよめられ、守られているのです。

塩味とは何か。ある人は、それは神の愛であると語ります。地の塩と呼ばれる人々は、神の愛を知る人々です。みずからも神の愛に生かされている人々です。神にあって世を愛し、人々の命を大切にし、平和を実現し、この地上に天の国の幸いなる秩序を実現していく。めだたなくとも地道に、着実に、たゆみなく、そのような生き方を置かれた場所で貫き通していく。
そのような人々こそ、地の塩と呼ばれます。彼らは地にあって塩味を、天の国の前味をきかせ続けます。そうした生き方、そうした歩みを、神から委ねられた使命として受け取り、この使命を忠実に果たしていくのです。
地の塩とは、わたしたちのことでもあります。主イエスは、あなたがたは地の塩となりなさいと仰せになるのではありません。わたしにつながって、わたしに結ばれて、あなたがたはすでに地の塩である、地の塩とされていると仰せになるのです。