見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

夜の言葉を聞く

おととい、近隣の教会の牧師たちが集まって、有志の学び会を持ちました。説教のわざについて学ぶ集まりですコロナウイルス感染下、ずっと中断していましたが、久々に再開しました)。
現代社会はさまざまな局面で複雑化している。人間を取り巻く状況も深刻化している。そのただ中で、人間を真に生かす神の言葉、命の言葉を語るとはどういうことか。この問いが正面から、説教者たちに
課せられている。そのことをあらためて確かめさせられました。

牧師であり、現代詩人であられた今駒泰成先生があるところでこのように語っておられます(拙著で触れました。リンクを貼っておきます)―現代人が認識をしているのは偽りの光、人工の光である。現代人はみずから作り出したその偽りの光に魅了され、そして光と闇とを取り違えてしまった。真に光を光として、闇を闇としてとらえることができなくなってしまった。意味と無意味の境界をも見失ってしまった。真に感知すべきものを感知するすこやかな、柔軟な感受性を失い、結果無関心と無感動という深刻な病に陥ってしまった。
それは、夜の言葉を失ってしまったということである。その意味では、現代人は夜の言葉を聞かなければならない。つまり、本当の闇というものを知らなければならない。本当の闇を知ることによってはじめて、本当の光をも知ることができる。

エスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」ヨハネによる福音書8章12節)
主イエスが光であるということを本当の意味で知るためには、この世と人間とを支配する闇とは何か、あるいはその闇の支配からこの世と人間とを救い出す光はどのようにして来たのか、そのことを知る必要があります。偽りの光、一時的にともっていてもすぐに消えてしまう光、あるいは光であると言いながら中身のない光、光のふりをしているだけの光が世に満ちています。光の装いをしてはいても本当は光ではないものに惑わされてはならないのです。

新しい人 新しい言葉 | 一麦出版社 (ichibaku.co.jp)