見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

恵みにより(1)

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
(ローマの信徒への手紙3章21~22節)

3章21~26節はローマの信徒への手紙の重要な主題である神の義、信仰による義について論じる、この手紙の心臓部とも呼ばれる箇所です。21節に言われます。「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました」
手紙の著者である使徒パウロは、これまで始祖アダムにある全人類の罪の闇について語ってきました。ユダヤ人と異邦人とを問わず、みなアダムにあって罪のうちにはらまれて生まれてくる。義人なし、ひとりだになし。これが結論であったのです。

人類の罪は、人がそもそも神と共に生きるべき被造物として造られているにもかかわらず、造り主から離れて自分を神として生きようとする姿にあらわれました。異邦人たちは偶像を刻むことによって、そしてユダヤ人たちは律法を自己神化の道具とすることによって、おのおのこの罪を犯しました。自己を神とする道はすべての人間にとって袋小路でしかありません。生まれながらに不義なる者が、みずから神の義を行おうとする道は矛盾に満ちた、無謀な道だからです。3章20節に言われるように、律法を実行することによってはだれ一人義とされないのです。 

ここでパウロが語っているような事実、すなわち全人類が罪の中にあり、わたしたちのひとりひとりも罪の中に生まれ、生きているという事実を、わたしたちは自分自身の知恵によってはさとることができませんでした。聖書-神の言葉に教えられなければ、わたしたちはついにこの真理をさとることはなかったでしょう。あらためて確かめておきたいのです。神のもとでこそ、世界と人間の根本問題ははっきりと示されます。人間の救いの問題も示されます。つまり、真理は天からあきらかにされるのです。地上のどこからでもなく、天から真理は降りてくるのです。

キリストの救いは、天からまっすぐに地の上に降りてきた、神の恵みのみわざです。キリストによって神はこの世界の、また人類の歴史のただ中に来たりたもうたのです。そして神の義は、キリストによってわたしたちにもたらされたのです。不義のゆえに滅びるべきであったわたしたちを救い、永遠の命に至らせるために、神の義が(贈り物として!)わたしたちに手渡されたのです。

人類は罪の中にありました。地上は罪の闇に覆われていました。「ところが今や」(21)、キリスト・イエスの到来によって神の義が示されました。まさに暗闇から光が差し込み、黒雲の中から青空が現れました。神の救いのみわざがわたしたちが目で見、耳で聞き、手でさわることのできるものとして実現したのです。キリストの到来によって、まさしく新しい天と新しい地(黙示録21:1)が到来したのです。最初のもの、古い世界はもはや過ぎ去ったのです。