見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

そろそろ桜も終わりでしょうか。少し前までは、お花見でにぎわう各地(岐阜も、名古屋も)の様子が報じられていました。宴席がしつらえられ、盛り上がるという光景は、以前に比べると減っているのでしょうか。でも、今年も見られたかもしれません。

忘れられない話があります。吉田兼好徒然草』の中のお話。ある時お坊さんたちが酒宴で盛り上がり、めいめい芸を披露していた。中のひとりのお坊さんが、手もとにあった鼎(かなえ―古代中国の金属の器。中華鍋のような道具。鍋に三本足がついたような形状になっている)をさかさにして頭にかぶり、踊りまくった。その場にいた人々は拍手喝采した。

その後鼎を頭から抜こうとしたが、抜けない。いくら引っ張っても抜けない。叩き割ろうとしても割れず、耐えがたい音響が響くのみ。当のお坊さんは、ただ苦しがる。
しかたがないので、鼎の三本足に布をかぶせて医院に。通行人に指をさされながら。医者にも、手のほどこしようがないと言われた。医学書にもない症例、と。

しかたなくお寺に戻り、しばらく茫然としていたが、耳や鼻を失うことになっても命が助かればよいと言う人があって、思い切り引っ張ると、耳や鼻がもげたが、ようやく抜けた。

茶目っ気を出して何かをしてみる、ということがあるかもしれませんが、場合によっては取り返しのつかないことになるので、気をつけたいものです。