見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

おりおりに

変化(2)

昨日のブログを読まれた方から、十字に切るのでは足りない、その作業を二度繰り返さねばならないとのご指摘をいただきました。がんばります。

聖書の読み方

「D・ボンヘッファーは、聖書をどのように読むべきかについて大切な示唆を与えてくれています。それは、聖書を読むことによって聖書とわたしたちの生活との間に「逆転」が起こるのだということです。たとえば聖書を人生訓、道徳訓、あるいは教養の書と見な…

変化

時に、生活の変化を求めたくなるものです。 今朝は、いつもはしないことをしました。朝食のウインナーの中ほどの部分から、包丁で十字のかたちに、ふたつ切り込みを入れてから焼きました。

春のオープンチャーチ

https://rcjgifu-church.com/wp-content/uploads/2024/03/717dbe05223c37e9963363b1ac6563d8.pdf ふたたびのご案内です。ぜひ、おでかけください。

自己の相対化

宗教改革者のジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』の冒頭で、神を知ることと自分自身を知ることとはひとつのことであり、切り離すことができないと述べています。自分のことは自分がいちばんよく知っていると言う人がありますが、自分のことは案外わから…

的を射る

人生の目的はどこにあるのか。どのような命を生きるべきなのか。それをあやまたずにとらえること。大切なことです。 この世的な業績を上げること。この世で名を上げ、成功をおさめ、高い地位を得ること。そうしたことを人生の目的に据える人々は、少なくない…

そろそろ桜も終わりでしょうか。少し前までは、お花見でにぎわう各地(岐阜も、名古屋も)の様子が報じられていました。宴席がしつらえられ、盛り上がるという光景は、以前に比べると減っているのでしょうか。でも、今年も見られたかもしれません。 忘れられ…

「聞く」ことと「行う」こと

昨日、大学時代からの友人が6年ぶりに訪ねてくれました。彼とは卒業に際して、コピー用紙にワープロ打ちした「二人詩集」を作りました。国語の先生としてよい働きを重ね、小学校、中学校で校長を務めた後、先月定年を迎え、今月から大学の特任教授の働きに…

ゼラチン

ケーキ作りのおもしろさに目覚めつつあります。上はゼリー、下はヨーグルトムースの、二層構造のケーキを作りました(ホールサイズで)。 今は、液体を目にするたびに、ゼラチンで固めたくなる誘惑にかられています。 少し余っているぶどうジュース。少し残…

祝福を与えるために

以下はドイツの神学者D・ボンヘッファーが『共に生きる生活』(森野善右衛門訳、新教出版社、1975年)という書物の中で語っていることです(138頁以下の要約―本文を少し変えています)。 礼拝を共にし、教会生活を共にしていながら、自分の罪や弱さ…

春のオープンチャーチ

岐阜加納教会の、春のオープンチャーチのご案内です。オープンチャーチとは、教会は特に教会は初めてという方や、新しい方々のための集会です。今月28日の日曜です。聖書の話を聞いてみようかな、という方は、ぜひお気軽にどうぞ。教会のホームページの「…

有事

永瀬清子『焔に薪を 短章集3』より。 「戦争が来たらと云う。 戦争が来たら、という声そのものがもう有事なのだ。 戦争で一番おそろしいのは 一時の気の迷いで後悔を贖うことだ。 えらい詩人にもたくさんの例があることを私は見ている。 自分の信ずる事以外…

自己受容(2)

もうはるか昔、大学生の頃(洗礼を受ける直前か、もしくは直後か)、牧師先生に勧められて、一冊の書物を読みました。ワルター・トロビッシュ著『自分自身を愛する』(すぐ書房)。 冒頭に、印象深いエピソードが紹介されています。ひとりの若い女性のお話で…

鳩の魂

あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください。あなたの貧しい人々の命を永遠に忘れ去らないでください。(詩編74編19節) 旧約聖書の詩編を読んでいると、時にはっとするような言葉と出会います。今朝は「あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください」という言…

しばらく前、長くお独りで暮らしておられる方と久しぶりにお会いし、語らいの後にお別れを言って部屋を出ようとした時、わたしを見られたその目を今も覚えています。時々思います。目はものを見る器官ではなく、かなしみやさみしさの度合いをはかる計器では…

猫は

朝食時の、連れ合いさんの報告。朝食の準備中、隙をついて愛猫が食卓にのぼり、ヨーグルトの器に顔を突っ込んでいたとのこと。やっぱり猫は乳製品が好きなんだね、という話になりました。 「猫の子は白い。牛乳で育ったので。」(阪本越郎「桜の木の下」) …

自己受容

愛するとは、ありのままを受け容れること。自分を愛するとは、自分のありのままを受け容れること。それができたなら、他者をも愛することができる。 それは、自分で自分を受け容れるということでなく。その前提に、自分がありのままに受け容れられているとい…

「二人称」の関係

自分ひとりではなかった。向こうから、「あなた」と語りかける方がある。こちらから、「あなた」と呼びかけることのできる方がある。その方がわたしを造られた。わたしに命を与えられた。その方は天の父であられる。その事実を知らされたのは、わたしにとっ…

なぜですか

なぜ、このように理不尽な現実があるのですか。いつまで、この不当な苦しみを耐え忍ばなければならないのですか。そうした問いを押し殺す必要はありません。抑圧する必要はありません。そのように身もふたもなく問うことを、神は許してくださいます。聖書の…

ゲツセマネ

主イエスが、わたしのために苦しまれたこと。わたしのために死なれたこと。その事実に、神の愛があります。その事実が、わたしの命のもといです。