見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

自己の相対化

宗教改革者のジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』の冒頭で、神を知ることと自分自身を知ることとはひとつのことであり、切り離すことができないと述べています。自分のことは自分がいちばんよく知っていると言う人がありますが、自分のことは案外わからないものです。他人から指摘されてはじめて気づくことも少なくはありません。
自分とは何者か。さらには、人間とは何者か。創造主なる神の前に立つ時に、神の光に照らされる時に、はじめてそのことがわかるとカルヴァンは言うのでしょう。

確かに、自分の内側を見つめているうちはひとりよがりな自己理解から抜け出すことはできません。自分を本当に知るためには、他者に向けて心を開かなければなりません。自分を相対化する他者の声に耳をかたむけなければなりません。自分の頭上で、天が開けるということが起こらなければなりません。

私に洗礼を授けてくださった牧師は、最初の出会いの日の語らいのおりに「聖書の神は永遠者であり、この方の前ではすべての人間が相対化される。一列に並ぶ」と言われました。その言葉を聞いたことが、次の週から礼拝に通い始める大きなきっかけとなったことを思い起こします。