見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

自己受容(2)

もうはるか昔、大学生の頃(洗礼を受ける直前か、もしくは直後か)、牧師先生に勧め
られて、一冊の書物を読みました。ワルター・トロビッシュ著『自分自身を愛する』
すぐ書房)。

冒頭に、印象深いエピソードが紹介されています。ひとりの若い女性のお話です。彼女
は、自分には良いと言える点など何もないと思い込んでいました。自分に良い評価をく
だしたりしようものなら、たちまち高慢の罪に陥って、その誇りで神に見捨てられると
信じ、恐れていたからです。宗教でがんじがらめにされた家庭で育ち、自分を卑下する
ことがキリスト教的であると教えられ、自分を否定する以外に神に受け入れてもらう道
はないと思い詰めてしまっていた。

著者はこの女性を鏡の前に立たせ、鏡に映る自分の姿を見つめさせ、たった一言の言葉
を言わせようとするのです―「わたしは美しい娘なの」。

神は、ありのままのわたしたちを愛し、受け容れてくださいます。それゆえわたしたち
も自分を、他者を愛し、受け容れることができます。

聖書における自己肯定とは何か。他方、聖書的自己否定とは何か。また考えてみたいと
思います。