見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

本当の備え

しかし神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。
ルカによる福音書12章20~21節)

詩人の石垣りんさんに「不動産」という作品があります。ある人が家を買い、 にっこり笑って扉を押して入っていった。しかし、それっきりだった。ほんとうに不動のものが、その人を迎え入れたからだ、とうたいます。「ほんとうに不動のもの」とはすべての人にとって唯一不動のもの、つまり死のことです。すぐれた詩人はやはり人生の真実を鋭く見抜いていると思います。

この詩を読んだとき、ルカによる福音書に出てくるひとりの人のことを思い出しました。この人は勤勉な人で、一所懸命働いて財産を蓄え、ついに一生遊んで暮らせるような大金持ちになりました。この人は会心の笑みを浮かべつつ、さあ、これからは大いに飲み、食べ、楽しもうではないかと自分に向かって語りかけます。
けれども神はこの人に言われるのです。あなたの命は今夜のうちに取り去られるだろう。さて、あなたが今までたくわえてきた財産は、いったいだれのものになるのか。あなたはこれを天国に持っていくことができるのか。

聖書はこの人を「愚かな金持ち」と呼んでいます。でも、この人は勤勉に働いて、自分の人生に周到なマネー・プラン二ングをたてることのできた人です。むしろ賢い人ではないでしようか。
しかし、この人には決定的なこと、それも人生におけるもっとも大切なことが欠けていたのです。それは人生の本当の目的を知り、自分の命のための本当の備えをすることです。聖書はこれを「神の前に富む」ことだと言っています。これこそがほんとうの知恵なのです。

もしも人生の真の目的、あるいは人生を支える真の土台と呼ぶべきものがあるのなら、それを知っているのと知らずにいるのとでは、生きかたはまったくちがってくるはずです。
人生の真の目的をさし示すのは聖書です。明治時代のある牧師は、人生における根本問題は三つである、人はなぜ生まれるのか、人は何のために生きるのか、人は死んだらどうなるのか、これであると語っています。この三つの問いにたいする答えは、すべて聖書の中にあります。