見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

わたしたちの砦

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。
詩編46編2~4節)

神はわたしたちの避難所であり、信頼できる土台です。神は愛と平和と喜びの源泉であり、いかなる時にも人間に対して恵み深く、憐れみ深き方であることをおやめになりません。神はわたしたちと共におられ、苦難の時、必ず御手を伸ばして助けてくださいます。

地は不安定です。時に信じがたいしかたで揺れ動きます。地のもといを揺るがすような地震が起こります。世界を滅ぼすかのような洪水が襲います。人々は命と存在の足場を失って恐れ、惑います。
「地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移る」。「海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震える」(6節)。この破滅のイメージが何に由来するのかを考えたいのです。詩人はここで神に背く人間の罪を見据えているのです。

創世記11章にバベルの塔の記事があります。人々は神の住まいである天にまで届く塔を建てようとしたのです。これは神への挑戦です。神を離れ、自分の力により頼み、自分を神の座に着ける。この人間の高ぶりが、地に動揺と混乱をもたらすのです。

現代社会にあっても、至るところでバベルの塔の建設が企てられています。人が自分の知恵と力を誇り、神なきところで文化や文明、科学技術の進歩を謳歌しようとするとき、どのようなことが起こるのか。そのことをわたしたちは戦争や紛争の続発、大国のエゴイズム、核開発競争、環境破壊、命や人権の軽視、人間疎外状況の進行といった人間の生存と生活をおびやかす現実のただ中で考えなければならないのです。

世界の存続すら危ぶまれるような地の危機。そのさなかにあって詩人は言います―わたしたちは決して恐れない。
地は震え、人の世は揺らいでも、わたしたちは恐れない。なぜなら神は揺るぎなき方だからです。天の神は地に住まいをもうけ、わたしたちと共にいてくださいます。神の都には大いなる命の水の流れがあり、その豊かさはいかなる天変地異にも変わることはありません。すべての民が騒ぎ、国々が揺らぐような歴史的動乱のさなかにあっても、生ける神の臨在は永遠に変わらないのです。

神がひと言御声を出されると、地はしずまります。そして、闇の世界はたちまち光の世界に変貌します。神こそが世界の主、王であられ、神の臨在の場所こそが世界の中心、地のもといであることがあきらかにされます。神の審判によって古き地は揺り動かされ、過ぎ去り、新しいものが生じます。この世のものをしか見ることのできない目には、この光景は見えません。しかし詩人は霊の目を開かれた人です。やがて神が地の上にもたらしてくださるうるわしい平和の姿が見えるのです。

神は被造世界に御手を伸ばされ、平和を成し遂げられます。「戦いを断ち/弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる」(11節)ことによってです。
神は人に呼びかけます。「力を捨てよ、知れ/わたしは神」(11節)。平和を得る道。命に至る道。それは人間が自分の力を捨てて、神に立ち帰る道です。人の力は抑圧と搾取、争いと憎しみの連鎖をもたらします。しかし神の命の力は、愛と平和を実現します。
力を捨てよ。私に立ち帰れ。世界とそこに生きるすべての人々を真の喜び、真の平和へと招く神の呼びかけです。