見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

神の言葉は甘い

主の律法は完全で、魂を生き返らせ
主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え
主の戒めは清らかで、目に光を与える。
主への畏れは清く、いつまでも続き
主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
金にまさり、多くの純金にまさって望ましく
蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
詩編19編8~11節)

「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示」(2節)します。天地創造の御業のすばらしさは、造り主のすばらしさを映し出します。絵や詩や音楽がそれを生み出した芸術家の力をあらわすように、太陽や月や星、山や海、すべての生き物や植物が神の栄光を雄弁に語ります。詩人は造り主をほめたたえます。

人は始祖アダムにあって罪におち、造り主のもとを離れ、罪によって神を見る目は曇らされ、神が自然を通して御自身のすばらしさを示しておられるのに、それを知ることができなくなってしまいました。造り主を求める心も罪ゆえにゆがまされ、造り主でなく被造物を神としてあがめるというさかさまの、偽りの礼拝におちいってしまったのです。

しかし、今詩人は造り主を賛美することができます。それは「主の律法」のゆえです。神の言葉が与えられたことにより、詩人の霊のまなざしはすこやかさを取り戻したのです。神の恵みによることです。 

神の言葉は、人の魂を生き返らせます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネによる福音書1章14節)方、イエス・キリストの贖いの御業によって、神は人を創造のおりの御自身との幸いな交わりに招いてくださるからです。命の源である神に帰ることにより、人は命に返るのです。

神の言葉は、人に真の知恵を与えます。神のもとを離れることにより、人は何が真理であり、真実であるのかを知ることができなくなりました。神の言葉を聞くことにより、人は人生の真理を知り、真に生きるべき道へと導かれます。
神の言葉は、人の心に喜びを与えます。神は人を愛しておられます。そして人の幸いは、神を愛して生きるところにあります。神の言葉に聴き従うことにより、人は神への愛を具体的なしかたであらわすことができます。神を愛することにより、人は神に愛されることの喜びを身をもって味わうことができるのです。
神の言葉は、生ける命の言葉です。人を縛る形ばかりの戒めは、人の目に光を与えることはできません。しかし神の言葉に生きる時、人の目に命の光が宿るのです。

神の言葉は、まことの義のはかりです。人のはかりは不完全であり、それゆえこの世には不義と不正が絶えません。しかし神のまったきはかりを知る者は幸いです。この世がどうであろうと、神は正しい道を歩む者に報いてくださることを知っているからです。
そのように、神の言葉は救いの言葉、光の言葉です。人に命の喜びを与える言葉です。それゆえ純金にまさり、蜂蜜の滴りよりも甘いのです。