見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

神の顧み

あなたの天を、あなたの指の業を
わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう
あなたが顧みてくださるとは。
詩編8編4~5節) 

天地創造の御業は、神の偉大さを映し出します。天を仰ぎ、月や星を見上げて、詩人は神の指の業のすばらしさをほめたたえずにはおれません。一方で、詩人は自覚しています。人間の小ささと無力を。神の偉大さは、人間の虚弱さを浮き彫りにせずにおきません。人の小ささをおもうとき、彼の賛美は幼子、乳飲み子のように口ごもったものになるほかはないのです。 

まことに驚くべきことです。偉大なる神が、この小さき人間を顧みてくださるのです。神は人を御自身のかたちに似せて、霊をもつものとして造られ、人が御自身との交わりに生きること―礼拝者として生きることを御心となさいました。その事実を前にして、詩人は叫ばずにいられません。主よ、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが御心に留めてくださるとは。あなたが顧みてくださるとは。

詩人はもちろん、人間が始祖アダムにあって罪におちた消息を知っています。月や星を神御自身と取り違え、これらのものにひざまずくようになってしまった愚かさをも知っています。だからこそ、彼の賛美は幼子、乳飲み子のように口ごもります。神をほめたたえつつ、彼は同時に人間の愚かさ、罪深さをおもわずにはおれないのです。

しかし、御子キリストによって、人間に対する神の憐れみが鮮やかなしかたであらわされました。神は御子を十字架につけることによって人の罪を贖い、御子の甦りの御業によって最後の敵である死を滅ぼし、人を罪にも死にも支配されない新しい、喜ばしい存在に生まれ変わらせてくださったのです。

人はもろく、壊れやすい土の器です。土の器の弱さは、罪の価を支払って死なねばならない定めにあらわれます。しかし「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明かになるために」(コリントの信徒への手紙二4章7節)。土の器は土の器のままで、神をほめたたえるのです。みずからのうちに納められた宝―復活のキリストの命、永遠の命を輝かせるのです。

天地を創造された神は、その偉大な力を人間の救いのためにもあらわしてくださいました。それゆえわたしたちは、神を礼拝して生きるすこやかな人間のすがたを回復することを得たのです。わたしたちも叫ばずにおれません。主よ、人間は何ものなのでしょう。あなたがこんなにも愛してくださるとは。顧みてくださるとは。