このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだよう
に、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
(ローマの信徒への手紙5章12節)
5章12節に「一人の人」、すなわちアダムによって人類に罪が入り、罪によって死が入ったと言われます。わたしたちは、罪の問題が決して理論や理屈などではないことを知っています。この世界とそこに生きる人々を、罪は支配しています。14節に「支配」という言葉がありますが、暴君が横暴をほしいままにして民を支配するイメージです。
そのように、罪は生きてわたしたちを支配しています。わたしたちの人生は罪の支配とのたたかいの連続であるとも言い得るでしょう。
同様に死の問題も、論理や理屈ではなく、人間の現実そのものです。わたしたちは自分もまたやがて死ぬのだということをわかっていながら、死の不可解ということを思わずにはおれないのではないでしょうか。死はどこから来るのか。生命としての死であれば心臓が止まり、脈が止まり、呼吸が停止するというかたちで確かめることができても、そうした現象ではわりきれないものを覚えずにはおれないのではないでしょうか。
罪と死。このふたつの問題は現に存在する大問題であるにもかかわらず、不可解です。人間の理性や力では解決し得ない問題です。いかに人格を磨き、知識や教養を増し加えたとしても、人はだれひとりとしてこの根本問題にうちかち、これを克服する力を持ち得ないのです。
この人生の根本問題については、神が聖書をとおしてわたしたちに教えてくださいます。全人類にあてはまる世界の不動の真理は、ただ神のみにより教え示されます。その真理の灯台のような聖書箇所のひとつが、ローマの信徒への手紙5章12節以下です。ここに語られているのはシンプルにして深い世界の真理、救いの真理の言葉です。