見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

わたしはある

神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」。
出エジプト記3章14節)

聖書は、ただひとりの神が存在することを教え示しています。「わたしはある」と仰せになる方です。ありてある神、です。
初めて祈ったときのことを今も覚えています。自分を超えた存在に向けて呼びかけるということが、それまでなかったからです。私はキリスト教とかかわりのない環境で過ごしてきましたから、聖書も神も知りませんでした。人間同士で言葉を交わし合うことはもちろん知っていましたが、自分を超えた存在に向かい合う、言葉を通して交わるということは知らなかったのです。

しかし、そこから私の人生の道は確実に開かれていったと思います。私が神に対して心を開かなかったときには、私には神がわかりませんでした。しかし心を開いた(それも神の恵みの働きによることでしたが)なら、神はご自身の豊かさをもって、遠慮なく私のうちに入って来てくださったのです。惜しみなくご自身のことを教え示してくださったのです。

神は大いなる方です。人間のあらゆるよきものも、この世のいかなる正義も善も、この方には及びません。この方は天の父、わたしたちを永遠に愛し抜かれる方です。この世と人間がついに知らなかったもの、真理の道、命の道を示して、この道を歩めと招いてくださいます。そして人がたがいに愛し合い、助け合い、喜び合って生きるすべを教えてくださいます。汲めども尽きせぬ数々の祝福を、わたしたちの人生にもたらしてくださるのです。

「わたしはある」と言われる方は、わたしたちの人生に恵みをもって介入され、わたしたちの生活を力強く導かれ、わたしたちを愛し、守り、わたしたちの人生を生涯、白髪になるまで背負っていかれます。「一期一会(いちごいちえ)」という言葉があります。この方との出会いは、わたしたちにとってまさに一期一会の、かけがえのない出会いです。