見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

神を知る道

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
(コリントの信徒への手紙一1章18節)

18日の主日礼拝後の壮年会の例会において、神を知る道筋ということが話題となりました。
以下、マルティン・ルターにおける神認識(神を知り、理解する)の道筋について、ルター研究者が語っていること(の要約)です。ご参考までに。

「『神の見えるもの』としてルターが挙げているのは『人間性』『弱さ』『愚かさ』である。まさに、われわれが神的なものの反対と考えるもののなかに神は見えるのである。それは、間接的な神認識のみが人間に与えられるということである。その理由は、神は隠されることにおいて、十字架の屈辱とはずかしめにおいてのみご自分を啓示することができるからである。ご自分を啓示するために、神は、受難と十字架の下へご自分を隠したもうたのである。われわれは(そこに示された)神のひたすらなる憐れみに対する信頼に生きるのである」
(W・v・レーヴェニヒ、岸千年訳『ルターの十字架の神学』18、19頁)