見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

真理を知る

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
ヨハネによる福音書8章32節)

真理という言葉の意味を辞書で調べてみたら「本当のこと、まことの真理」と出ていました。また「判断や推理の正しさ」という意味も出ていました。あるいは、この世で一般に真理という言葉からイメージされるのは2+2が4であるとか、林檎を持って手を離すと林檎が下に落ちるとか、そういうことであるかもしれません。
けれども、ここで主イエスが真理という言葉を語っておられるのはそのような意味ではありません。たとえば哲学や論理や学問の上での判断や考えの正しさ、道理に合うことというような意味ではありません。

新約聖書の中には、真理という言葉はかなりたくさん出てきます(とくにこのヨハネによる福音書には)。しかしどの場合にも、人間の考えや判断の正しさという意味ではないのです。この言葉は必ず神との関係において用いられています。そして必ず、そこでは人間の救いということが問題になっています。
ある神学者は正しくもこう言っています。真理とは何か。真理とはこの世界の、また人間の悲惨さや、闇の深さにもかかわらず、それをのりこえて世界と人間とを支える神の憐れみのことである。そして真理とは(「使徒信条」に告白されている)罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命のことにほかならない。

真理とは何かの論理や概念といったものではありません。生ける人格です。生ける人格をもってわたしたちと出会い、わたしたちを救う方そのものです。真理は生きている実在です。真理はこの世界の歴史の中に入って来られ、地上にその歩みをとどめられたひとりの生ける方とかたく結びついているのです。
すなわち、真理とはキリストです。この方は仰せになります。「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)。キリストにおいて、わたしたちは真理を知るのです。キリストこそがわたしたちの人生の意味を、世界の意味を、またその根拠を、目的を、あきらかにさし示したもう方です。
世界と人間のいっさいの意味を説き明かす鍵を持っておられるのは、この方です。この方の言葉を聞くことによって、わたしたちは真理を知るのです。