見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

死に、生きる

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
(ローマの信徒への手紙6章4節)

使徒パウロはここで、わたしたちは死んだと語っています。肉体はまだ生きているのに死んだ、葬られたと語るのです。
さらに、キリストに結ばれてわたしたちも新しい命に復活したのだと語るのです。

ここからわかることは、聖書が語る生と死とは肉体の生と死、医学的生物学的な生と死とを超えた事柄であるということです。もっと本質的な、人間存在にとって本質的な事柄であるということです。聖書をとおして、人間における生と死ということを深いところでとらえなければならないのです。
そして覚えておりたいのです。やがて肉体は死の時を迎えるとしても、わたしたちは今すでにこの地上で、復活の命に生かされているのです。