見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

主語は神

主は恵み深く、慈しみはとこしえに
主の真実は世々に及ぶ。
詩編100編5節)

ここでの主語は主なる神です。主は恵み深い。主のいつくしみは永遠に変わらない。主の真実も永遠に揺らぐことはない。つまり5節は、人間の側の真実、あるいは人間がどのようであるのかということについては一言も触れていないのです。

詩編の詩人たち、また旧約聖書の信仰者たちの信仰を見ていくときに気づかされる顕著な事実は、個人的な、あるいは主観的な感情や神体験からその信仰が語られることは例がないということです。つまり、そこでは人間の側の気分や感情によって左右されてしまうような信仰について語ることはいっさいないのです。

信仰者たちが語るのは神のみわざ、神がこの歴史に起こしてくださった救いのみわざです。彼らはこれにより頼むのです。そのことにより、そこにあらわされた神の恵み、神の慈しみ、神の真実が時代を超え、場所を超えて変わることも揺らぐこともないとの事実が如実に示されるのです。

神と神の民との歴史は旧約と新約、古い契約と新しい契約とをつらぬく恵みの契約の歴史です。この恵みの契約において、神は誠実を貫きとおされました。神は古い契約の時代にアブラハムを召し、イサクを導き、ヤコブをお恵みになりました。この神こそイエス・キリストの父なる神です。この方は旧約の、長い準備の、全歴史を用意されたすえに、ベツレヘムの家畜小屋にご自身の独り子を生まれさせ、十字架上に死なせ、甦らせたもうたのです。独り子キリストの死と復活のみわざによって、世を救う新しい恵みの契約は成就したのです。

わたしたちの神はこの方です。哲学者、学者の神にあらず。アブラハム、イサク、ヤコブの神にしてイエス・キリストの父なる神です。