見張りが朝を

日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師のブログ

心の清い人々は、幸いである

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。(マタイによる福音書5章8節) 主イエスは言われます。「心の清い人々は、幸いである」。心の清い人とは心の汚れを修行や鍛錬によって追い払うことのできる人、世の汚れに身を染めることがない強い心を…

御子

御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。(ローマの信徒への手紙1章3~4節) 「御子は、肉によればダビデの子孫から生…

憐れみ深い人々は、幸いである

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。(マタイによる福音書5章7節) 「憐れむ」という言葉には同情するとか、不憫に思う、そういうニュアンスが含まれることがあります。憐れむとは困っている人に同情したり、具体的に助けたりする…

自己の相対化

宗教改革者のジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』の冒頭で、神を知ることと自分自身を知ることとはひとつのことであり、切り離すことができないと述べています。自分のことは自分がいちばんよく知っていると言う人がありますが、自分のことは案外わから…

本質的事柄

罪が支払う報酬は死です。(ローマの信徒への手紙6章23節) 聖書が語る生と死は、肉体の生と死、医学的生物学的な生と死とを超えた事柄、人間存在にとってまさしく本質的な事柄です。聖書をとおして、人間における生と死の意味を深いところで理解しなけれ…

的を射る

人生の目的はどこにあるのか。どのような命を生きるべきなのか。それをあやまたずにとらえること。大切なことです。 この世的な業績を上げること。この世で名を上げ、成功をおさめ、高い地位を得ること。そうしたことを人生の目的に据える人々は、少なくない…

義に飢え渇く人々は、幸いである

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。(マタイによる福音書5章6節) 義。正しさです。正義がきちんと通る場所は幸いである。そのような場所に生きる人々は幸いである。それは確かなことでしょう。しかし、地上には義が貫かれないとい…

そろそろ桜も終わりでしょうか。少し前までは、お花見でにぎわう各地(岐阜も、名古屋も)の様子が報じられていました。宴席がしつらえられ、盛り上がるという光景は、以前に比べると減っているのでしょうか。でも、今年も見られたかもしれません。 忘れられ…

柔和な人々は、幸いである

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。(マタイによる福音書5章5節) 聖書においては「柔和」という言葉は、ただたんにやさしさやおだやかさを意味するのではありません。聖書における「柔和」という言葉の根本的な意味は、したたかさ、ね…

ふと見ると洗面台に ひとすじひびが入っていた おそるおそる 手を伸ばし指を近づけると 白い陶器の冷たい感触ののちにそれはこころもち動いた 指でつまむことのできる亀裂だった 花冷えの朝かすかなこころのたじろぎも見えざる手の中にある

悲しむ人々は、幸いである

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイによる福音書5章4節) 悲しみは、この世にあっては不幸のしるしです。人々はできるなら悲しみから遠ざかりたいのです。悲しみと縁を切りたいのです。けれども主イエスは仰せになります―悲しむ…

心の貧しい人々は、幸いである

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイによる福音書5章3節) 心の貧しい人々は、幸いである。そう主イエスは言われます。豊かなことが幸いであるというのではない。貧しいことが幸いである。天の国ではこの世のものさし…

わたしはある

神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」。(出エジプト記3章14節) 聖書は、ただひとりの神が存在することを教…

人間の数量化

「二千の結核患者、炎熱の都議会に坐り込み 一人死亡」と 新聞は告げる(黒田三郎「引き裂かれたもの」 詩集『渇いた心』所収 角川書店『日本の詩集16 黒田三郎詩集』より) この作品の中の「一人」は幼い娘を持つ、貧しい、結核を病む母です。一週間後に…

豊かな所に

神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。あなたは我らを網に追い込み我らの腰に枷をはめ人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったがあなたは我らを導き出して豊かな所に置かれた。(詩編66編10~…

「聞く」ことと「行う」こと

昨日、大学時代からの友人が6年ぶりに訪ねてくれました。彼とは卒業に際して、コピー用紙にワープロ打ちした「二人詩集」を作りました。国語の先生としてよい働きを重ね、小学校、中学校で校長を務めた後、先月定年を迎え、今月から大学の特任教授の働きに…

ゼラチン

ケーキ作りのおもしろさに目覚めつつあります。上はゼリー、下はヨーグルトムースの、二層構造のケーキを作りました(ホールサイズで)。 今は、液体を目にするたびに、ゼラチンで固めたくなる誘惑にかられています。 少し余っているぶどうジュース。少し残…

忍耐

樹液は外から塗られる薬液でなく、樹木の内から浸み出す体液。だから、傷口は乾かない。かさぶたは形成されない。生傷は疼き続ける。ピンポイントで、秒針は打ち続ける。 かさぶたがいつまでも形成されない。その不安も、意志をもつ他者から与えられたもの。…

祝福を与えるために

以下はドイツの神学者D・ボンヘッファーが『共に生きる生活』(森野善右衛門訳、新教出版社、1975年)という書物の中で語っていることです(138頁以下の要約―本文を少し変えています)。 礼拝を共にし、教会生活を共にしていながら、自分の罪や弱さ…

憐れみの神

あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しくあなたの裁きに誤りはありません。わたしは咎のうちに…

春のオープンチャーチ

岐阜加納教会の、春のオープンチャーチのご案内です。オープンチャーチとは、教会は特に教会は初めてという方や、新しい方々のための集会です。今月28日の日曜です。聖書の話を聞いてみようかな、という方は、ぜひお気軽にどうぞ。教会のホームページの「…

フットライト

真夜中のホテルの部屋。深い闇の中、足元灯の明かりが、寝台に投げ出された片足の足指と、足の甲を照らしている。 昼間会った人が話していた。手をかざすことで、手から発する霊力があらゆる病を癒す、親類がそう信じていると。 足元灯の光も、この片足に隠…

使徒

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから。(ローマの信徒への手紙1章1節) ローマの信徒への手紙の冒頭で、パウロは自分のことを「僕」と呼び、続けて「使徒」とも呼んでいます。使徒。キリスト・イエスの使い…

本当の備え

しかし神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。( ルカによる福音書12章20~21節) 詩人の石垣りんさん…

命の水

この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネによる福音書4章13~14節) アメリカの軍隊が直面している深刻な問題について取…

戦時下の詩人たち

詩人の中村不二夫さんが、2月になさったご講演のレジュメをお送りくださいました(大変、充実したもの)。「翻弄された『戦時下の詩人たち』」(日本詩人クラブ例会)。YouTubeで視聴できます。 〇戦争の時代、99パーセントの詩人が愛国詩を書き、日本の…

有事

永瀬清子『焔に薪を 短章集3』より。 「戦争が来たらと云う。 戦争が来たら、という声そのものがもう有事なのだ。 戦争で一番おそろしいのは 一時の気の迷いで後悔を贖うことだ。 えらい詩人にもたくさんの例があることを私は見ている。 自分の信ずる事以外…

rcjgifu-church.com ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。(マルコによる福音書16章4節) 石は、主イエスの墓穴をふさいでいました。石の向こう側には、主イエスのなきがらが葬られてありました。墓穴をふさぐ石の壁。それは死の…

わたしたちの砦

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない地が姿を変え山々が揺らいで海の中に移るとも海の水が騒ぎ、沸き返りその高ぶるさまに山々が震えるとも。(詩編46編2~4節) 神…

神を待ち望め

なぜうなだれるのか、わたしの魂よなぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。(詩編42編12節) 「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める」(1節)詩人は今大きな…